タイトルみるに、朝鮮半島関連の外交や地政学テーマかと思った方、申し訳ございません。

全く違くて、”教養や語彙力って、ある程度は大事なんかな、”という話です。

ことの発端

昨晩、延べ5年くらい付き合っている彼女と何気なく会話していて、彼女が半島という言葉を知らないことに気づき、衝撃を受けました。

学歴とかなくても心優しくて人としてまともなら充分と思っていたけど、その限界をちょっと超えてきたような感覚。ショックで自分の頭が混乱し、フリーズしました。

人としてめっちゃいい子だし性格も好きなのだけど、ちょっとショックがデカい。

能登半島という言葉は聞いたことあるらしいけど、それがなんなのかはわからないし、半島がなんなのか知らなかったらしい。

これはちょっと生活に支障きたすレベルでは。(自分にとって)人として当たり前と思ってた水準を下回ってきた。

半島を知らないだけで彼氏が怒り出したと言ったら有り得ないよねーと言われるようなコミュニティに生きているのだろうか。

これを知ってたら合格、みたいなラインはないと思ってたけど、そのラインが存在したのかもしれないと初めて感じてしまった。

半島を知らなくても生きてはいけるけど、普通に生活してきて耳に入ってきても気にならないのが理解できないし、小学生でも98%くらいは知ってることなんじゃないのだろうか。

半島を知らないなら、リアス式海岸もカルストも扇状地も知らないはずで、てこの原理も地軸の傾きも知らないんじゃないか、そんなことも考えてしまった。

知識のあるなしはどうでもいいけど、知らないなら勉強してみようとか、そういう思考にはならないのでしょうか。

ずっと学歴とか仕事とか、勉強習慣は重要じゃないと思ってたけど、常識とか教養のハードルを下回ってきたような気がするのでした。

教養とはなにか

僕は教養学部というおかしな学部を卒業しているのですが、教養とはなにかという定義を持ちません。

教養ってなんでしょうか。教養は必須でしょうか。

“生きるのに必須な知識”ということなら、みんな生きてるんだから、教養なんていらないですね。

“相手の立場を想像するのに必要な知識”のことなのだとしたら、半島もリアス式も、知らなくていいですよね。

何が許せなくて混乱しているのか、よくわからなくなってきました。

まともってなんでしょうか。まともじゃないのは君も一緒。

こんなこと考えてる私はおかしいのでしょうか。

人生の諸先輩方、思ったこと、コメントください。