生きるのがめんどくさい ~27歳エリートの憂鬱 2022/9/1(木)
以下、過去のメモだが備忘のため記す
ネガティヴに映るかもしれないが、今日時点で本当に思っていることなので、備忘のため包み隠さず記録しておく。
初めに言っておくと、僕は上澄の上澄のような人生を送っている。実家は小金持ちだし、学歴もキャリアも上の上といえる。だけど今の僕のメンタリティは、アパシー、無気力な若者の多くにはとても理解され、団塊世代からは宇宙人と思われるような、典型的な人間なんじゃないかと思っている。だから、少しでも参考になればと思う。
生きるのがめんどくさい。僕は18歳から27歳の現在まで、ずっとそう思って生きてきた。人にはキラキラなキャリアとアクティブな活動から、充実して生きていると思われていたかもしれない。でも全くそうじゃない。生きるのがめんどくさい。死ぬのもめんどくさいから生きているだけ。でも生きるために好きでもない労働をしないといけないということがどうしても苦痛で仕方ない。人に会うのもめんどくさいし、かといって実家で子供部屋にこもるのもプライドが許さない。どうすれば働かずに生きていけるだろうか、人に何かを強いられずに生きていけるだろうか。それだけを考え、中学時代にはウェブサイトの運営、高校時代からは株式投資を一貫して行ってきた。しかし、人と関わりたくないし、楽にコスパ良くいきたいだけだから、深い調査はできないし、表層的な結果にしかならず、何も実にならなかった。
かっこつけてみると、キュルケゴールは、唯一絶対の真理を信じれなくなることこそ、死に至る病だと表現した。ニーチェは、キリスト絶対思想の崩壊を持って、神は死んだと表現した。あなたは唯一絶対、信じることのできる信念があるだろうか。僕はない、全くない。全てを相対化してみたときに、唯一絶対というものがなくなる。金があれば幸せか。異性にモテれば幸せか。環境問題を解決したら幸せか。結婚したら幸せか。かと言って、新興宗教を信じるほど視野が狭くなっているわけでもない。
ここにきて、僕のモチベーションはゼロになった。自由になりたい、なににも縛られたくない。だけどその自由を得るためには、少なくとも数年-10年程度は自分に鞭打って頑張らないといけない。ここに壮大なパラドックスを感じた。何を目指せばいいんですか。
18歳から、と書いたのには理由がある。大学入学までは、東大に入れば幸せになれると本気で信じていたから、少なくともそこまでのモチベーションはあった。以前東洋経済に、東大までの人という記事があった。まさに自分じゃないかと思った。月並みに言えば、燃え尽きた。モチベーションがない。絶対に幸せになれると思えるような信念がない。頑張っている人を見たら、こいつ単純な目標持って頑張れて幸せだな、周り回って誰かを不幸にしてるとか考えないのかな、と思う。
上野千鶴子の祝辞を聞き、まさに僕は東大に入るべき人間ではなかったんだと理解した。少なくとも僕にアスピレーションはない。僕は知を生み出すために勉強をしていたわけではない。いかに楽に生きるか、損得勘定のロボットのように、コスパだけをみて、最小努力で及第点を取るということにしか、わずかにあるエネルギーを振り分けることができなかった。東大には1点差で合格したし、進振りは最低点で進んだ。
僕にはエネルギーがない。人を見れば、その人のエネルギーが、どの方向であれ、どれだけの総量があるかはなんとなくわかるだろう。ハンターにおけるオーラの総量と言っても構わない。今の僕は、モブキャラにも満たない、トンパより弱いのではないだろうか。逆にいえば、金を稼ぐとか、日本をぶちあげるとか、よくわからない信念を心から信じられている人たちをみて、単純でいいなぁなどと思っている。
会社を活用して自分の欲望を叶えている人は、素直に羨ましいと思う。目的意識のある人にとって、就職活動も会社生活も、全てが生産的な活動になるだろう。僕は成し遂げたいことが何もないから、うまく資本主義を活用しようという気にはなれない。というか、できない。
金持ち学校の中高同期を見るに、ある程度の余裕があり生きるのにエネルギーを割く必要のない人間は、大同小異こうなるのだなと思っている。著名人で言えば夏目漱石、星新一、井上靖のような大器晩成型の人間を見ても、ある程度強制された努力をし、エネルギーが尽き、しかし他者からの期待と支援により働かなくても生きていける期間は、当然のようにエネルギーがでなかったようだ。ある程度恵まれた人間の特権でもあるし、原罪でもあるのかもしれない。そんな大器晩成型の著名人のストーリーやインタビューを見て、俺もまだ大丈夫などと慰めているんだ。
どこで衝撃的な出会いがあるか、事故に遭うか、自らの殻を破るのか、はたまた一生もやもやして静かに死んでいくのかは、神のみぞ知る。牙を削がれた、というよりは、夢から醒めたというのが心境だ。
やりたいことといえば、趣味程度のテニス、逃避としての海外旅行、ときたまのセックス。彼女はいる。幸せにしてやりたいとは思う。しかしそのために頑張るなんて到底めんどくさい。やる気は存在しないからまず行動せよとか、やる気を出すためのライフハックなどは極めて表層的であり、根本治療には至らないと確信している。最近は本も読めなくなってきた。朝は当然起きれない。海外に1年くらい放浪でも行こうかと思うが、彼女を放置したらかわいそうだとか、1年逃避行しても何にもならんとか、海外で沈没してるやばいじじぃを結構みてきているので、足が踏み出せない。なににスタックしているわけでもない、可能性が無限大にあると思っているが、何もできない。アメリカにいた高校時代が人生で一番楽しかったが、今からアメリカに行っても競争力はないただ語学のできない理屈屋でしかないから、自信がない。これが、本当の僕だ。
可処分時間を奪うというミッションでスマホゲームの課金率を1%上げるとか、脱毛広告のCPAを1円下げるために1年を使うとか、配送のリードタイムを1%短縮するとか、たいして興味もない社会課題を解決するとか言って調達してラウンジで遊んでるとか、全部とっても気持ち悪く感じる。
資本主義経済という仕組みを活用し、より人々が生きやすい社会を作るという名目で働く人たちが、好きなときに好きなだけ休みをとって好きな場所で好きなことができるという、動物として当然の権利を放棄しているのを見るに、社会に出ても幸せになることはないのだろうと思い、僕をこの場に留まらせる。なんとなくみんなが就職し、なんとなくみんなが結婚し、なんとなくみんなが子育てをし、なんとなくみんながローンを組み、金曜に会社の愚痴を言いながら退職金を得るまでだらだら働くという生き方を、僕は選択できない。かといって、好きなことだけで生きるのも不可能であり、出口はないと感じてしまう。好きなことといえば上述のテニスやセックスや旅行であり、これをテーマにyoutubeでもやればなどと言われるが、これも顔出しが〜とかyoutuberは淘汰される〜とか言って腰が上がらないのだ。
テニスなど好きな活動にはエネルギーが出るので全面的な鬱ではないが、社会的活動にエネルギーが出ない新型鬱に近い状態だと思う。スチューデントアパシーや回避型パーソナリティの本などを読むと、まさに自分のことだなと思う。どんな人生も選べるし、どんな職業も選べるが、何も選びたくない。何も感じない。Numbな状態。南米に行ってみたい。
さて、どうしたものか。
死にたさの根源: 27歳の憂鬱2022/7/29(金)
こちらも過去のメモ
さとり世代的無気力: インプットが多く賢い気になり行動が少なく厳しい現実に直面しすぐに鬱になる: 仕事を楽しむ人と仕事を邪魔者と思っている人の違い: 根本的な社会への姿勢が違う気がする。前者は人生なんとかなると思っていて、せっかくだから役に立つことをやろう、好きなことで人の役に立とう、勉強させてもらおうという態度、後者は社会は怖いもの、仕事はやらされるものであり、なるべく関わらずに楽に生きたい、逃げたいと思っている。損得勘定のクズ。社会は人間を劣化させ政治と保身に縛り付けるものと思っている。組織に長くいればしがみつくしかなくなるか、あるいは自己研鑽しないといけないがそれが面倒くさい。
自分は後者だ。これはどうすれば変わるんだろうか?努力して改善して報酬を受けるしかないのかな。それを受けるまで頑張るモチベーションがない。好きなことで社会に受け入れられる以外ない気がする。
なんのモチベもなく、子供を作るとか、マイホームとか、これをやれば幸せという幻想も全く持ち合わせていない。
よく考えると、周りにいる”上位”の人たちの生い立ちを聞けばほとんどが祖父母の世代から上位だった。ただ階級を再生産してるだけ。それなのにみんなに希望を与えて上を目指せというのがオワコンだ。
運動してセックスして寝て本読んで旅行したい、以外の欲求がないから、そのために早くアガりたい以外のエネルギーがない。しかしそのために頑張るのも面倒なので、なにもやりたくない。
パパ活女子と同じか。。生まれた時から恵まれているので欲しいものもやりたいこともない。とりあえず”厳しい”社会から逃げたいだけ。
この有り余るエネルギーを何に使えばいいのだろう。旅行?????しにてえな。
こんなやつと働きたい人間がいるわけない。俺は絶対に嫌だ。現実を見よ、期待値を下げよと言いたい。好きなことで生きる道はあるでしょうと。
テニス、旅行、読書、セックスしてる時が唯一生きてる実感がある。
もう人に何か言われてどうこうするのは嫌だな。やりたいこと以外できない。でもやりたいことなんてない。
なんとなくの不安を避けたくて逃げ切りたいから稼ぎたいというクソみたいな後ろ向きのエネルギーしかない。
逆に言えば、ここ(俗に言う新型うつ、甘えだろう)から回復してイキイキと生きるようになれば、かなり多くの人の希望になる気もする。
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